『そうだ、この御仁もヨセフを知っている一族だな』
とね。わしはえらくうれしかったですよ。そうでなかったらお互いに付き合いをしても心からの満足は得られませんわい。  
              
                     ─アンの夢の家(村岡花子訳)より─ 


 ヨセフを知る一族
  心のまんなかでお互いの呼吸を感じ取ることのできる人たち。立場も性格もすべて違っていても空気が自然に流れて時々でいいから感性が同じことにビックリしあって、美しいものを愛し、そして楽しいユーモアの言い合える仲間

         それがヨセフを知る一族かな、と思います、わたしは・・・
「あまりにも美しくて苦痛をおぼえるほどですわ」
 アンはやさしく言った。
 「あのような完全なものには元から苦痛を感じましたわ ─今でも憶えていますが、子供の頃はそのことを『へんな痛み』などと呼んでいたのですよ。このような苦痛が完全ということと切り離せないらしいのはどういうわけでしょうかしら?究極というものに対する苦痛でしょうか ─その先は退歩あるのみということを悟ったときに感じるような?」
 オーエンは夢みるように呟いた。
 「多分、われわれの内に閉じ込められた無限性があの肉眼で見得る完全性の中に表現されている同類の無限に呼びかけているのかもしれませんよ」
             
                              ─アンの夢の家(村岡花子訳)より─
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「あのようによろこびをあたえるものが、たくさんありますわ。小さなもので...
それでいて大きなよろこびをあたえるものが」
「わかるわ...咲き出さないばらのしんのようにね」
と、スザンヌが呟いた。
「或いはモミの林のつんとくる匂い」
と、デビット。
「みんなで一番美しいものをならべてみましょうよ」と、スザンヌが言い出した。
「どんなものでもかまわないから、あたしたちをいちばんたのしませるものを、頭にうかぶものから言ってみましょうよ。あたしは日が沈むちょっと前におちる不思議な濃い影が大好きだわ。、窓にガサッとぶつかるコフキコガネ、手製のパン、さむい冬の夜の湯たんぽ、小川の、濡れた苔のはえている石、老松の梢でうたつ風の歌。さあパットはいかが?」
「猫が胸のしたに手をたたみこむときのしぐさ、いてつく冬の朝にたちのぼつ青い煙、あたしの小さな姪のメイの目にしわをよせる笑いかた、月夜に夢みる古い牧場、十一月の銀の森で、足のしたでガサガサ音をたてる枯葉、赤ん坊の足のゆび、ものほし竿からとり入れるときの洗濯物のにおい」「デビットは?」
「氷のつめたさ」デビットはゆっくり言った。
「アルフォンゾの目、炊きつくようなひでりのあとの雨の匂い、夜の水、まいあがる焔、冬の夜のふしぎな、暗い白さ、少女の、小川を思わせる褐色のひとみ」

                           ―パットお嬢さん(村岡花子訳)より―
わたしの腹心の友maazさんからいただいた年賀状。
ご本人の了解を得てここに載せました。

わたしの机の前に飾ってあります。作品に向かう時
いつも目に付くように。

こんな風に作品を作っていきたい。こつこつと作品に手を掛けて丁寧に大切に接していく内にいつの間にかまぁるくできあがっていったらいいなあ。
まいにち、
ひとつひとつ。
ひろったり、
さわったり、
ながめたり、
ころばしたり。
そうこうしながら
ひとつひとつ、
まぁるいものに
なってゆくような。
新年は。
−maazさんの年賀状より−
Infant Joy
"I have no name:
I am but two days old."
What shall I call thee?
"I happy am,
Joy is my name."
Sweet joy befall thee!

Pretty joy!
Sweet joy, but two days old.
Sweet Joy I call thee:
Thou dost smile,
I sing the while;
Sweet joy befall thee!
赤ちゃんの喜いちゃん

「名はまだないの
 生まれてまーだ二日なの。」
なんとお前をよびませう、
「うれしいの、
私の名前は喜いちゃんよ。」
楽しい悦びのありますやうに。

いとしい喜いちゃん
可愛い喜いちゃん、まーだ二日ね、
可愛い喜いちゃんと呼びませう。
笑うのね、
歌いませう、
たのしい悦びの来ますやうにと。
                入江直祐訳
      
    THE Wind


Who has seen the wind?
   Neither I nor you;
But  When the leaves hang trembling
   The wind is passing thro'.

Who has seen the wind?
   Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
   The wind is passing by.


            
Christina Rossetti  
        


誰が風を見たのでしょう?
   誰も見たことありません
でも木の葉が囁くとき
   風は通り過ぎていく

誰が風を見たのでしょう?
   誰も見たことありません
でも枝がおじぎをするとき
   風は通り過ぎていく

            
    
    クリスティナ.ロセッティ
              
測量技師たちの家は、ひみつでいっぱいだった。メアリは、父さんのクリスマスプレゼントに、新しいあたたかいソックスをあんだ。ローラは、母さんののこりぎれの袋にあった絹のはぎれで、ネクタイを作ってあげた。屋根裏部屋でローラは、キャリーといっしょに、仮小屋に下げていたキャラコのカーテンを使って母さんのエプロンをこしらえた。のこりぎれのふくろに上等の白いモスリンの小ぎれがあるのも見つけたので、ローラがそれを四角に裁ち、メアリーがとくいの細かい針目のふちかがりをして、こっそり母さんのハンカチもこしらえていた。ハンカチをエプロンのポケットに入れてから、エプロンを薄紙でつつみ、メアリーの箱の中のキルト用の小ぎれの下にかくした。
 両端に赤と緑の縞が入った、古い毛布もあった。毛布はもうすりきれていたけれど、縞模様のある端のところはいたんでいなかったので、母さんは、そこからメアリーの部屋履きを裁った。ローラが片方、キャリーがもう片方、縫って、ひっくり返して、毛糸の紐と、房飾りで仕上げた。できあがった部屋履きは、メアリーに見つからないように、母さんの寝室に苦心してかくしておいた。  
 ローラとメアリーは、キャリーにミトンを編んでやりたかったけれど、毛糸がたりなかった。白いのが少しに、赤と青も少しずつあるけれど、どれもミトンを編むには足りない。
「わかったわ!」
メアリーが言った。
{手のところを白、手首を赤と青の縞にすればいいわ!」
 毎朝、キャリーが屋根裏部屋でベッドのしまつをしている間に、ローラとメアリーは、大急ぎでミトンを編んだ。階段を下りてくるあ足音を聞くと、メアリーの編み物の入っている籠に隠した。そのミトンも、もうちゃんと仕上がって、籠に入っていた。

 〜中略〜
 父さんは新しいソックスを見るなり、そうそう、これがほ欲しかったんだよ、と言った。これがないと、ブーツを通して寒さがじかに足を伝わってくるんだ、という。それに、ローラが作ったネクタイも、褒めてくれた。
「朝ご飯がすんだら、さっそくしめてみよう。_こりゃあいいぞ、父さんのクリスマスのよそゆきが、一揃いできたってわけだ。」
 母さんが包みを開けてきれいなエプロンを取り出すと、みんな、わあっ!と声をあげた。母さんはすぐにエプロンをつけて、立ち上がってみんなに見せた。そして、裾の折り返しを見てから、キャリーに、にっこり笑いかけた。
「とっても上手にまつってあるわ、キャリー。」
それから、ローラの顔を見て、微笑んだ。
「それにローラのギャザーもよくそろっていて、縫い方もじょうず。上等のエプロンだわ。」
「まだあるのよ、母さん。」
キャリーが大声をあげた。
「ポケットの中を見て!」
〜中略〜
「こんなにきれいなハンカチまで!ありがとうね、メアリー!」
それからみんなは、メアリーの部屋履きを口々に褒め、擦り切れた毛布の端でこしらえたとはねえ!と感心した。毛布がぼろになったらすぐに作ってみるわ、とボーストの奥さんも言った。キャリーは、ミトンをはめた手を、ぽんぽんと打ち合わせた。
「あたしの、7月4日のミトンよ!ほら、独立記念日の旗とおんなじミトン!」
そして、ローラも自分の包みを開けた。中に入っていたのは、母さんと同じキャラコのエプロン!母さんのより小さくて、ポケットが二つついている。ふちには、幅のせまいフリルがぐるりとついていた。母さんがもう一枚のカーテンから裁って、キャリーが縫いメアリーがフリルのふちをまつったのだった。同じお古のカーテンから、同じようなエプロンを作っていたなんて、二人ともずっと知らなかった。そして、メアリーとキャリーの胸は、二つの秘密をしまいこんで、はちきれそうになっていたのだ。
「まあ、ありがとう!みんな、ありがとう!」
ローラは、赤い花のちっている白いキャラコのきれいなエプロンをなでた。
「フリルも、こんなに細かくまつってあるのね、メアリー!ほんとに、ありがとう!」

       こだまともこ.渡辺南都子訳「シルバー湖のほとりで」ローラ=インガルスより
大草原の小さな家のシリーズにはいくつも心温まるクリスマスのシーンが出てくる。中でも手作り大好き人間のわたしとしてはこのシーンが心に残っている。
お金を出せば何でも買える今の時代だけれど、贈る人の喜ぶ顔を思い浮かべながら工夫して作るプレゼントにはわくわくする喜びがある。
そしてそれを開ける時のみんなの幸せそうな顔が心にいつまでも残るのだ。
時々心の中にぽっかりと穴が開く。その中に落ち込んでしまうと一歩足を踏み出すのが怖くなる。自分が『暗闇の中で糸の切れてしまった凧』になったような気がする。どこに飛んでいくのかわからない不安。というより今現在がどこにも存在していないような不安感。
 わたしの不安感は自分が『過ぎ行くもの』であるということに起因していると思う。

 若き日、先が見えぬのになぜ一歩を踏み出すことができるのだろう足が竦む思いがした。結婚ということを真剣に考えた頃のこと。なにもかも分からなくなって思い悩んでいた時、友達と立ち寄った喫茶店の窓辺に広がった果てしない雪原。そこに一条の足跡。それを見た瞬間、わたしは知ったのだ。予め道があるのではない。わたしが足を踏み出そうとする時イエス様はいつもその直前を歩いていてくださるのだ。その一歩が道となってつながっていくのだということを。私はその日の内に結婚を決意していた。

 先日の聖書集会で心に残ったお話。
 「イエス様は『過ぎ行くもの』になられたのだ」
私の怖さは生きていくことが『過ぎ行くもの』であるということなのになぜイエス様は自ら『過ぎ行くもの』になられたのか。。。
 
 


イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのみこまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです。」と言った。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
                               マタイによる福音書8:23〜27


そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去られてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
                               マタイによる福音書26:38〜39


同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架を降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
                               マタイによる福音書27:41〜43


三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
                               マタイによる福音書27:46
この一連の流れに深い意味があるような気がする。しかしわからない。でも焦るまい。いつの日かちょうどよい時に示されるのだ。 イエス様『過ぎ行くもの』になられたことの意味を。わが子をこの『過ぎ行くもの』として遣わされた神様の愛を。

註解書はたくさんある。しかしわたしは直に御言葉を聞きたいのだ。その日までゆっくりと待とう。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
                              ヨハネの手紙一 4:10
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